表題のほか、2編の短編が入ってます。いいなと思ったのは、3つ目の「魚のスープ」。妻の桜子幸せな結婚生活をしているはずの主人公。でも、何か足りなくて、すこしだけ、影を感じる。その原因は、つまり…。
ぼくと桜子は、カズに言わせれば、別学で自宅住まいで、生活している部分を知らずにつきあっていた。結婚して、生活の部分でたがいを見るってことに慣れてなかった。慣れてないんだもの、そりゃ、疑問符もただようさ。
学生時代の女友達、カズにそうあっさりと言われた主人公は、ようやく、これでいいんだと安心する。妻と一緒に、生きていこうという気持ちになる。
妻と並んで歩くよ。
ならんで歩こう。女性としての妻の話を、これから先、長く続く生活の中でずっと聞こう。ぼくも彼女に語ろう。こどもができたらその子とも。
なんか、いいな。と思った。一緒に、手をつないで、速かったりおそかったりする互いの歩調に合わせながら歩く。そうやって歩いていける人と、一緒になれたらいいな。
次は、野中柊さんの『草原の輝き』。暗い過去にとらわれたくないと思いながらもやっぱりとらわれてしまう自分。ちゃんと向き合って、受け止めてと、突然現れた少女が囁く。少女は言う。
「あたしはね、エゴイズムを極めなくちゃ、本当に優しい人にはなれないんじゃないかって思ってる。だって、自分を大切に出来ない人間が他人を大切にできるはずがないんだから」
ちゃんと過去と向き合う。よかった自分も、悪かった自分も、好きになる。自分を好きになる。難しいけど、それが他人を大切にする第一歩なら、やってみたいと思う。
それに、この小説に出てくる主人公の夫がまた、すごい素敵な人なのよ。心から主人公のことを愛していて、大事にして、前を向いて生きていこうと言ってくれる。その明るさが、前を向く勇気が、輝く姿が、まぶしすぎて怖くてついてけなさそうになって、不安になる主人公。この幸せはいつまでも続いてくれる?この人は、ずっとそばにいてくれる?そんなときの、彼との会話。
「まあちゃん、これから先どんなことがあっても、私の事を信じていてね。わたしは、まあちゃんのことが大好きで、私が最終的に帰ってくるところは、まあちゃんの腕の中しかないと思ってるってこと…お願いだから、忘れないで」
「何で、そんなこと、言うの?」
闇の中で優は不安そうになつきを見つめていた。
「どこか行きたいところがあるの?」
「いいえ」
「でも、行ってしまうつもりなの?」
何とも答えずにいると、優は、何か隠してるだろ?というなり、なつきの頭を抱き寄せた。
「馬鹿だな。何で、そんな悲しそうな顔するんだよ?別にいいよ、隠してることがあっても。でも、俺もこれだけは言っておくよ。なつきがどこかへ行っちゃったら、俺は追いかけるよ。どこまでも追いかけて、捕まえるよ。なつきが帰る場所が俺のところだって思ってくれているのに、どこかへ行かなければならないのだとしたら、そこへ行くのは、おまえにとって、よほど避けられないことなんだろ?だったら、そのときは俺が歩み寄る。これで、どう?」
なつきは笑った。
「じゃあ、まあちゃんは、私の移動するおうちってわけね?」
「そう。追いかけるうち」
「どこまでも?」
「うん。なつきの行くところなら、地の果てまでも」
3つめは、江国香織の『つめたいよるに』。短編集だけど、失うことをここまで美しくしっとりと書ける作家さんはなかなかいないんじゃないかとすら思う。死んだ犬が、1日だけありがとうを言うために人間の男の子の姿で現れた(「デューク」)。幽霊の父親と結ばれた母親の姿をみつめる息子(「草之丞の話」)。生まれる前に亡くなったおばあちゃんが、おじいちゃんのそばにいるために自分の中に仮住まいしていた(「スイート・ラバーズ」)。妻を失った老人の、哀しく美しい、思い出の春の散歩(「晴れた空の下で」)。
故人を慕う。悼む。想う。想い続ける。そのあたたかさ、哀しさを感じられる1冊でした。
うん、なんか、いい本読んだなー。
特に、『草原の輝き』が好きです。あんな旦那様が欲しい(笑)。
『草原の輝き』ってなんか素敵ね。私はよく彼にまっすぐなところが良いって言われるんだけど、自分にも他人にもまっすぐであることがいい時もあるし、悪い時もあるんよね。でも、そこがいいって言ってくれる人がたった1人いてくれるだけでなんか暖かい気持ちになれるよ。
最近私は畠中恵さんの「しゃばけ」シリーズ読みふけってます(笑)
自分がまだ気付いてないところや自分ではなかなか気付けないところを見て、好きだよって言ってくれる人がいるって、幸せよね。そして何より、「これが好き。こういうのが好き」って堂々と言える人って、素敵だと思う。
畠中恵さん…チェックしてみよーっと。情報ありがと☆